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40代独身の「選びすぎ」は、自分と対比をしている
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- UPDATE : 2015.10.26
- LAST UPDATE : 2015.10.26
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9,10月の結婚式ベストシーズンも終わると、寒い季節の到来やカップルイベントも多くなってくるので、独り身の私としては、より寒い季節になってくるわけだ。
と言うことで本日は、自分も含めての40歳以降はなんで結婚できなくなるの?ということについて考えてみました。
相手が独身であるか、フリーであるかと確認したいときがある。
確認したい理由は様々だし、特に理由もなく興味で知りたいときもあるわけだけど、一番は単なる情報の一つとして知りたい。
例えば目の前の相手が、結婚していてなんら不思議のない年齢の場合は、無防備な状態で聞いてしまう
「結婚しているんですか?」
当然結婚している、あるいはパートナーが居ると返ってくると思って聞くので、次なる質問は
「結婚して何年?お住まいは?」
なんて、慣れた会話の流れになることを想定している。
しかしそこで想定外の「独身なんです」と返答されてしまうと、いきなり踏み込んではいけない領域に足を踏み入れてしまい、なんとかその場をやり過ごすために
「えー?選びすぎなんじゃないですか?」
という。
この「選びすぎ」という言葉、私は数百回は言われていて、すっかり馴染みの言葉になっている。
そして私もついつい使ってしまうけれど、場面を問わず使える優秀な言語で、これは未婚者に対する褒め言葉や励まし言葉に値する。
選べるほど周りに異性がたくさん居たはずなのに、あなたの基準にあう人は現れなかったのね。という意味で一般的には使われているからだ。
実際は選ばれていないから、独身なんだけど。
まーでも、「選びすぎでは?」は、当たり障りのない言葉なので、使ってもいいけれど、もうちょいクールな言葉がないかな-?なんて考え中だ。
結婚していて当たり前という材料が揃っているのに独身である場合は、何らかの理由があるはずと多くの人は考える。
では本当に選びすぎなのか?
自分が独身を長く続けてようやく分かったことは、確かに選んでいる。私の独身の友人達もおそらく、相手を選んでいる。
でも選ぶという行為は比較対象が必要なわけで、何と比較をしているのかというと、例えば10人の男性や女性の中で比較をしているということではなく、自分と比較をしているのだ。
もちろん年齢とともに比較対象の変化はあったと思う。
20代の頃は比較する余裕すらなかったけれど、年齢とともに人を好きになる感情にも客観性が備わってくるので(備わらない人もいるけど)結婚を意識すると、自分の家族、友人、憧れの家庭なんかと比較をしている場合もあるかも知れない。
でも、今となっては自分と比較をしている。
いい加減一人の生活が長くなれば、嫌でも一人でできることが増えてくる。一人で居ることが当たり前になるので、寂しいなんて気持ちを感じることもなくなる。自分の時間や空間は自分だけのためにある。
で、わりと快適なわけだ。
そんな中で結婚を意識した付き合いをするとなると、
自分一人の生活>結婚生活
まーそうは言っても、付き合ってしまえば、また別な次元で考えるようになるので、自分と比較して相手を選ぶというのは、たぶん付き合う前だけだと思うので、いずれ結婚したいと思っているのであれば、細かいことを考えず、好きになれそうなら先ずは付き合ってしまえばいいのではないだろうか。
もはや萎えつつある恋愛に対する勢いを、奮い立たして行っとけ!って思う。(自分も)
あとがき☆☆☆
週末に古い男友達たちと会っていたんだけど、彼らとは四捨五入すると二十年来の付き合いで、私自身もずいぶんと古い人になってしまったんだなーと思う反面、彼らが全く変わらない印象を受けたので、おそらく私の脳内では、若いままの彼らが生きているのだろうなーと思ったりした。
しかも女性達に対する気遣いが素晴らしく、ずいぶんと洗練されたものだと感心してしまった。もしかして当時の私が気付けなかっただけかも知れないが。
今日の投稿分が遅くなってしまって、明日の分もこれから考えなくては!何にしようかな?
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