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四十過ぎると誰かを愛するにも勇気がいるちゅう話。

二十代とは、愛もないのに口説かれ、自分ですら目に余る理不尽さえも男性からは許される日々が続く。

若い自分たちが投げかけられる様々な言葉のニュアンスから、例えば「かわいい=頭の悪い女」「好き=なんとかしてあげたい女」なのではないかと思う。

 

三十代とは、頭の悪い女、何もできない女などというレッテルを貼られることをきらい、対等でありたいと努力をする。

しかし、男性の愛情の対象は、先ずは、若いことが条件だったという事実に直面したり男性の理不尽さも知ったりする。

そんな中で、女性としての表面的な衰えに対しての恐怖心から、自分に足りなかったものを高めようと努力するが、その磨いて見せる対象が男性である限り、それは報われなかったりする。

 

四十代とは、未だ恋愛市場にいなければならない自分に恥じる思いが沸々と湧く。

普通に人間としての弱さやかわいさを持っていたとしても、それが若い女性と同じ質のものだと思われてはならないと、弱々しさや健気な可愛さは奥に隠したりしてみる。

ドリカムの歌じゃないけど「愛していると言うだけで涙が出てしまう」という思いなんかも、別に年とともに消えたわけでもなく、一度奥に隠してしまったものを取り出す勇気が無くなっただけではないか。

とはいえ生涯独身でいるかもしれないという覚悟みたいなものは、既に7割くらい出来上がっている。

これが完全に覚悟できちゃえば、自分らしく接することができるんではないかと思う。

だけど覚悟のできていない3割の部分が、自分の気持ちに素直になることを妨げたりする。

 

また新しい1年が始まったけれど、もしかしたら自分は人生の半分も到達していないかもしれない。

そう考えると、あと何十回も誰かを好きになるかも?

でもこの先は、選ぶ相手も友人としても最愛と思うような人を好きになりたいし、むしろ余計な物をそぎ落として、普通に素直に、愛したいなんて思ったりした元旦。

 

四十過ぎると誰かを愛するにも勇気がいるちゅう話。

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