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自分が年をとったと感じた日のこと

「一曲」と言う言葉がある。

「いっきょく」と読むのではない。いっきょくと読む場合もあるが、今日の場合は、いっきょくと書いて「ひとくねり」と読む。

私の造語ではなく、きちんとした日本語で、「ちょっぴりすねる」という意味である。

自分が年をとったと感じた日のこと

 

最近、男性に何かをしてもらえることが少なくなったと感じている。

十代、二十代のときは時代もあったかも知れないが、代表的な例だと、飲み代も食事代も払った記憶が無い。割り勘をした記憶もほぼ無い。

巷には女性の特典が溢れていた時代だったのだ。

ところが女性の特典は、変化していくのである。

一番最初にそれを認識したのは、30代に入ってすぐに、男友達を食事をしているときに言われた。

話の前提は忘れてしまったのだけど、当時の私にはかなりの衝撃だった。

「そうなんだ!」って真剣にびっくりした言葉だった。

彼は何を言ったのかというと、

「女も三十にもなったら、男と同じように稼いでいるのだから、飲み代ぐらい払わなきゃダメだよ」

と、言ったのだ。正直、寝耳に水だった。「そうか永遠にご馳走してもらえるわけでは無いのか」とアホみたいな話だが、本当に三十になるまで、女性は永遠にご馳走してもらえるものだと思っていた。

自分が年をとったと感じた日のこと

私よりももう少しお姉さんになると、バブルを思いっきり経験して、そのまま結婚し、ご主人に永遠にご馳走してもらえているかも知れない。

時はそれから10年以上が過ぎて、すっかり逆転してしまった。

やってもらえるばっかりの夢のような時代から、自分がせっせと人のために尽くしている(自分の中では)

それはそれでも良いのだが、たまに一曲するときがある。

たまにはやって欲しいよなって、本当に悲しくなるのだ。

それはどういった時かというと、女性のためにあるようなイベントの時である。私の誕生日とか、

ホワイトデーだとか

ホワイトデーや

ほわいとでーなど

今年のバレンタインデーは、ギリチョコばっかりだけども、9個配った。しかしホワイトデーには一つも帰ってきていない。昔であれば超究極のギリチョコをあげても、10倍返しだったのに。

どゆこと?

ホワイトデー前後で、義理チョコをあげた人に三人に会ったのだ。

まーそういうことだ。

来年はあげる人を考えよう。

 

 

、、、ほとんど本気だ。

 

今日のありがとう☆☆☆

二時間半にわたる長めのMTGでしたが、一歩も二歩も前進したと思います。有意義な時間でした。ありがとうございます!

 

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