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情緒の分化。三つ子の魂百まで?

今日は引き続き、慶応の文明塾のセッションにこられた、東大病院の心臓のお医者さん、稲葉俊郎さんのお話で印象的だったこと。

お腹のなかの子どもが、人類の発生と同じような進化の過程を辿って生まれてくるという話。

そのイラストが魚のサメ顔→両生類(かえる顔)は虫類→猿人類(猿)などお腹のなかで変化していって、現代人(こども)として生まれてくるという(※端折りました)

また、子どもが生まれてから自我をつくっていくプロセスで、情緒の分化(ブリッジズ)というものがある。

どういった話かというと、生まれてから五才くらいまでに成人の情緒はすべて出揃うそうだ。

三ヶ月:興奮から不快がまず分化。その後、快が分化。

六ヶ月:不快が怒りや嫌悪、恐れへと細分化

二才:快から喜びが分化。二才で基本的な情緒が揃う

五才:恐れから不安と羞恥が分化。怒りから失望と羨望が分化。快から希望が分化。ゆえに五才で成人の情緒はほぼ出揃うという。

 

ということだった。なので、この時代に作られた情緒で、自分たちが意識していないところで、ずっと引きずっているかもしれないと。

このあたりが三つ子の魂百までとうゆえんなのかも?

ただし、稲葉先生は、ここでつくられた情緒は、仮のものだから、支配されないように注意、更新すると言われていた。

 

無意識下でおこなわれているために、知らず知らずに支配されているなんてことは確かにあるだろう。

それを気づかせ、更新を助ける1つの手段が、稲葉さんの言われる「投影」かもしれないと思った。

この投影だが、①他者への投影②こころ(からだ)=症状、病として現れると、言われていたことに繋がるのか?

投影はなぜ起こるかというと、私の勝手な想像では、投影することで、5才までに培ってしまった不の情緒に気づかせてくれるシステムが働いているんではないかと。。。

不の情緒があることによって、自然と調和していくのには、なんらかの問題があるのではないか?

そもそも人間が輪廻転生している、はたまた、本来人間はこころや思い、思考などの目に見えないものが自分の本当の姿だとする。

目に見えないものには気付きにくいから、肉体を持って投影されることにより、不調和に気づくことができる仕組みが働いているんではないか?なんて思ったり。

人間は人間という個体そのものだと捉えることもできるけれど、個体の人間は洋服と同じだと考えれば、なんとなくさまざまな事象が、感覚的に理解ができたりする。

こころとは?思考とは?思いとは?

人間は目に見えているものすべてが、事実としてとらえると、理不尽なことがたくさんあるし、自己探求の迷宮にはまってしまう。

また見た目の違いや生まれた環境の違い、貧富など見える世界には不平等がたくさんあるから、そこに着目すると、さまざまな不調和が起きる。

でも、人間はこころとか魂、思いなどの目に見えないものが、本当の自分の姿だとしたら、平等にできている。

まぁ、どのみち哲学的でむずかしくて、頭ではまったく理解できない。でも、でもめっちゃおもしろい話だった。

だいぶ中途半端だけど、どのみち答えも出ないのでこの辺で・・・・・・

 

情緒の分化。三つ子の魂百まで?

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