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小説はどの段階で完成させたと言えるのか?読者の心に届くようにするためには、戦略が必要。

私は現在、京都造形芸術大学の文芸コースで、三回目の大学生をしている。

今年の五月に入学をして、7ヶ月経過しているけれど、今日は卒業を目指すための、二回目の論文研究という授業だった。

この大学での卒業論文は、卒業制作といって文芸的な研究論文あるいは小説を書くことがそれに当たる。

卒業を目指すならばと書いたけれど、造形大ではカルチャースクール的な考え方で、単位を気にしないで長く在籍する方も多くいるからだ。最大9年間居られる。

私は二年で卒業(三年編入だから)を目指しているので、前年に「論文研究」という授業を2回合格しないと、卒業年度に「卒業研究」の授業を受講できず、留年になってしまう。

入学したときは、何も分からないのに小説なんて書けるのだろうかと思っていたが、今では心理的なハードルは低くなっている。

とはいえ小説モドキも、ろくに書けていない。

近い将来書けるような気がしているだけだ。

 

さて今日は、授業の中で、「なるほどね」。と思った事を書き留めておきたいと思う。

小説はどの段階で完成させたと言えるのか

書いた本人は、書き終わったら完成かも知れないが、小説は読者に届いて、読んでもらってはじめて小説が完成したと言える。

小説は、演劇などに比べて歴史は浅い。演劇は観衆に見せるためにある。観て貰って完成する。

小説を書く→印刷技術が一般化したから皆に届けられるようになった→見ず知らずの人に読んでもらって完成する。

読者の心に届くように(読まれるように)、どうやったら読まれるのか、売れるのかと戦略も必要。

会話であれば、恥ずかしい話や悪い話、プライベート過ぎる話はしないけれど、小説はそれを書かなければ読まれない。

 

一章ごとの考え方

 

文章の構成で起承転結で書くというのは、よく言われるけれど、読者に飽きずに読んでもらうためには、小説全体の中で起承転結するだけではなく、1章ごとの中でも見せ場を作って、起承転の「転」の力を借りて次章に繋げるのが良い。

 

起=文書の書き起こし(いまからこんな事を書くよ)
承=主題を展開(エピソード)
転=視点を変えて(流れを変えて見せ場を作る)

転の力を借りて=読者が読みたくなる→起承転の繰り返し
結=全体をまとめる(エンディング部分)

 

図にするとこんな具合だ。

小説はどの段階で完成させたと言えるのか?読者の心に届くようにするためには、戦略が必要。

 

と書いたけれど、ちょっと文例を書くのは、時間がかかりそうなので、次回にしよう。(明日も授業なので)でもこれが聞けて良かった~。

分かったような、わからないような微妙だけれど・・・・・・

 

あとがき☆☆☆

今日は授業終了後年末の懇親会があったけれど、参加せずに帰宅。

お風呂に入ってさっさと寝ます。おやすみなさい。

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